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  たわごと編: No.278  
  2015.04.20 家族という病_自分の生き方の言い訳みたいな本  
 
  「家族という病(下重暁子・幻冬舎新書)」を読んでの感想である。まずがっかりしたのは家族というものがもたらす病みたいな家族の問題点について分析し解説しているのではないかという期待が裏切られたことである。私の読んでの印象では、著者の生い立ちの影響で自分が選んだ生き方がいわゆる普通のひとのようではなく理性で生きる生き方だったのだが、その生き方を押し通す言い訳のような感じが強くした。

その感情的で独断的攻撃的姿勢がバラエティ番組の賑わし役として位置づけられている感のある田嶋陽子氏をあるTVで見たとき、母親との確執が自分の性格に影響しているというようなことを言っていた。そしてそれが分かっていながら自分の特異性を一般化し認めさせようとしてその言動が感情的で独断的攻撃的になっているみたいだというのが私の受けた印象だった。それと真反対なように「家族という病」の著者は感情的で独断的攻撃的ではなく理性的という仮面のもとに自分の生い立ちがもたらした自分の生き方を一般化あるいは正当化しようとしているように感じられた。

理性的に生きるということに私は異議はないが、仕事を選ぶために子どもを持つことを捨てたというような記述があって、局所的な記述だが私はそこに著者が自己中心的で優しさに欠ける人間ではないかという疑問を持った。著者にはつれあいがいて家計は独立採算制で子どもは作らないということでやってきたようである。それが著者の理性的生き方の一面だそうである。仕事の喜びとセックスという快楽は楽しむが子どもはつくらないということに私は自己中心的な側面を感じたわけである。

私は自分が生まれて来てよかったと思うならば子どもはつくるべきだと思っている。病気やつくろうと思っても出来ないひとはいたしかたないが、ひととして生まれてよかったならば子どもはつくるべきである。全人類みな著者のように理性的に生きて子どもをつくらなければ人類は滅亡である。そういう観点から見れば著者の理性的生き方は全く個人的なもので一般化出来るものではないわけである。それが私の著者が自己中心的な自分の生き方を正当化するために「家族という病」という本を出したと感じた理由である。

本にはその他の記述があるが自分の主張を正当化するための肉付けで内容の本質ではないというのが私の見方である。そもそも理性的生き方をもたらしたのは生い立ちにあると言うが、そういう生い立ちだという思い込みはひとの心を察する力が欠けていた自分がもたらしたかも知れないわけである。私は著者の人となりなどについて知らないから記述を読んだだけの印象だが、有名文化人らしいひとが自分の生き方を正当化するために理屈をこねている中身の薄い本というのが私の読後感である。


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