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  たわごと編: No.444
 
  2018.01.22 セクハラ_カトリーヌ・ドヌーブの心配  
 
  カトリーヌ・ドヌーヴが自身を含む100人の女性と連名で男性には口説く自由があるなどとする声明を出したらそれに対する反響・批判が大きくなって、その後カトリーヌ・ドヌーヴはその声明については性暴力の被害者には謝罪するとしながらも、#metooなどのセクハラ告発ムーブメントに対する違和感を改めて表明したというニュースを見ての感想である。

私は女性にアプローチするとして、そのやり方は洗練された方ではないと思うから多分にうまくいかないことが多いのではないかと思われる。そのうまくいかなかった相手の女性があいつにつまり私に言い寄られたと言いふらされるようなことが日常に起こるとなれば女性にアプローチするのが怖くなる。かつては女性は自分にアプローチしてくれた男性を振ったというようなことは秘密にしておく奥ゆかしさがあったように思うがそういう礼儀をわきまえた女性しか私は選ばないと思う。

それが#metooなどで犯罪でもないのにソーシャルネットワークに晒され言われなき批判やあざけりの対象になったりして私生活のみならず仕事にまで影響を及ぼすようになれば、いい加減女性へのアプローチ恐怖症になりかねない。私が思うに、カトリーヌ・ドヌーヴは男女の恋愛の在り方や機会をあまりに制約するような動きに対してもう少し楽しく恋愛できるようにしないと人生の意義が失われるかもしれないと懸念しているのだと思われる。また制約するような動きが犯罪でもない事柄に波及する、すなわち彼女の言う表現の自由規制にまで及ぶのではないかと懸念もしているのだと思われる。

私はセクハラはいけないことだということは分かるが、恋愛感情とセクハラ行為との区別が状況やひとにより変化するのではないかという気がしている。そしていわゆるセクハラは世間では明示的かどうかを問わず相対的に強い側が弱い側の意に反する性的言動をすることだと思われているとも受け取っている。ドラマなどで二人組のどっちかがそれらしきことを言うとそれはセクハラよと冗談っぽくいなしたりする場面があるから私はそんな気がしている。

セクハラはある研究者によれば、ひとの上に立っている(と感じている)ひとは下のひとから好意を持たれていると勘違いしやすいことから発しているということである。そうであるので、ひとの上に立っている(と感じている)ひとは勘違いしていないかと性別に関係なくすべからくその性的言動については自重・自制しないといけないということのようである。

また何らかの上下の関係の中で上からであれ下からであれ恋愛の切っ掛けに挑むとすれば相手のサインがNOだというときそれが分かる想像力とそのNOを受け止めるだけの度量をもっていないといけないようで、かなり慎重なやり方が要求されるようである。晴れて恋愛関係になれば性的言動もセクハラにならないが、万一別れが来た場合あとで#metooなどでセクハラと糾弾されないようご用心という心配が残るかも知れない。


補足: 
官僚のスキャンダル告発_女性記者
2018.04.13
どこかの女性記者が財務省のお偉いさんにセクハラを受けたと告発したらしいニュースがあった。いつのことか知らないが、隙ありと思わせつつ情報をもらえるかもしれないと近づいて上手くいかなかった、あるいは利用するだけ利用したからもう切ろうとして告発したかも知れない。それがよいとは言わないがトランプ大統領の女性スキャンダルも、彼と付き合ってなにがしかの利益あるいはその後のそれなりの生活を得ていた女性が、ここでまたなにがしかの利益を得ようと告発しているのではないか。セクハラ被害にあったのならばその時すぐに告発したらどうかという気がする。自分に都合の良い間は黙っていて、利用できなくなったり告発で得をするようになったから告発しているのではないかというのが、私の受けた印象である。


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