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  たわごと編: No.451
 
  2018.03.12 私の思う教育費無償化とそのための財源  
 
  人づくり革命の政策主要課題に教育費の無償化が挙げられている。私は教育費無償化は家庭の経済事情にかかわらず子どもの能力に応じて望む教育が受けられるようにすることだと思っているので、能力や意欲を考えないいわゆる完璧な公平性を求めるような駆けっこでみんな一緒にゴールなどというような考え方はとらない。しかし家庭の地域差などを含めた教育環境と経済状況が子どもの教育あるいは学力レベルを決めてしまうと言われている日本の現状は変わってほしいと思っている。

国会では幼児教育費の無償化とか高等教育費の無償化というようなはなしが議論されているが、家庭経済事情による教育格差是正という名目とは別にこれからの子どもの能力アップによる生産性向上の期待がある。私は子どもは社会が育てると主張し始めた今は野党の政権の言葉から単純に教育機会が家庭の経済事情で左右されないようになるならと喜んだのだが、親の経済的恩恵を有り余るほど受けたハトポッポがその自分に有利だった社会的仕組みを解体せずに理想的なことを言っているだけと冷めた目でも見ていた。今回その先行きがどうなるか知らないが、いまの政権で教育機会獲得における経済格差解消を実現しようと具体的論議がなされるようになって来たのは良い方向なので、それを見守りたいと思ってはいる。

いわゆる貧困家庭については居住地域の別を問わないが、そうでない家庭でも田舎や僻地の教育条件も家庭の経済に影響を及ぼし、子どもの教育機会に対する経済格差となり得る。私はこういう問題に一番関心がある。しかしまた、私は貧困家庭のみならずそこそこの家庭においてもいま都会で問題となっているような、親あるいは保護者の就労を制約する保育や幼児教育何とかしなくてはならないという気がしている。また小中学校生徒などの鍵っ子問題も親あるいは保護者の就労を制約するものとして何とかしなくてはならない気がしている。

以上のようなはなしは両方とも保護者家庭の経済や就労の問題である。誰でも高等教育に挑めるようにするには経済問題の観点から見れば、教育費用を負担できれば良いわけである。それも全国遍く意欲があって能力がある子どもが必要とする費用、例えば自己負担しなければならない文房具、参考書、塾費用、授業料、住居賃料、食費、交通費など裕福な家庭の子どもと貧困家庭の子どもが同等の教育環境となるようにすればよいわけである。この課題解決には保護者家庭の収入に応じて負担すべき費用の全部あるいは一部を国家が代替すればよい。

保育や幼児教育などの必要性の理由の一つである親や保護者の就労問題については、保育・幼児教育施設と放課後子ども施設の義務化がよいのではないかと思われる。施設利用費用についてはこれも保護者家庭の収入に応じて負担すべき費用の全部あるいは一部を国家が代替すればよい。

つまり、負担できる家庭は負担し負担できない家庭に対しては負担すべき費用の全部あるいは一部を国家が代替すればよいというかたちでの幼児教育から高等教育までの無償化がよいのではないかということである。家庭の経済事情が気になって暗く投げやりな気分で成人までを過ごして来た私としては、家庭の経済事情で子どもが先行きどうもならないと絶望感にさいなまれるような状況はなくなってほしいと切に願っている。それがこのような極端かも知れない希望を語る所以である。

ところで国家が教育負担を代替するやり方と財源のことである。確定申告で教育に掛かった費用を細目付きで確定申告するようにする。認められる額は収入が少ないほど多く、ある額以上の高額収入ならゼロとする。そしてベーシックインカム方式で国家がその教育支出分を補う。その財源は法人からは雇用人数と規模に応じて、またある収入や資産以上の所得者や資産家からは所得や資産に応じて累進課税で教育税を負担してもらえばよいのではないかということである。税率の設定はかなり難しいとは思われるが、そうすれば例えば田舎の極めて貧困な家庭ならば都会の裕福家庭と同様の教育支出を全額借金して支出しても、それは教育費を申告することでベーシックインカムで補填されるわけである。これも極端な案かも知れないが、社会が子どもを育てる覚悟がいるということである。

ここで問題になるのは、対象となる子どもがいろいろな段階において教育が必要な能力範疇にあるかどうかの認定が課題となる。意欲や能力もないのに親や保護者の思い入れなどでお金をかけて教育をしようとするものが出ないように制度設計しなくてはならない。また確定申告する教育費の費目の範囲をどうするかということである。田舎の貧しい家庭の子どもに都会の裕福な家庭の子どもと張り合えるだけの教育環境を与えることが出来るものでなくてはならない。

そして子どもは社会が育てると言うなら自分の子が能力が低ければ競争に敗れることがあることを受け入れなければならないことになるわけである。しかしいま高い地位にあったり裕福な生活をしていている人たちが、自分の子どもの能力認定不正や自分の子どもだという理由だけでの世襲など地位や金で言うことを聞かせようとの誘惑に動じないでいられるかどうかは疑問だから、私の思う教育無償化は難しい課題であると私は思っているわけである。またベーシックインカム導入も関連する官僚機構の権益構造再編への抵抗で難航することも予想されるわけである。


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屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:
  No.431  教育費無償化_人材の序列がなくなることはない  (2017.10.23)

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